1 「恋をするのに理由が必要ですか?」
「恋をするのに理由が必要ですか?」
「え?」
返ってきた言葉の意外性に、陽子は素で驚いた。
目の前の、頭が良くてどこかクールな印象を与える年上の男が口にするとは思わなかった言葉。
内容を理解するのに、しばらくの時を要した。
それは、仕事の合間の、ちょっとした雑談だった。
最近、堯天の街で話題のある商家のゴシップネタだ。商家の跡取り息子の美しい妻と、義理の弟との恋愛沙汰。加えて義理の父親も巻き込んで…という、王宮の、しかも女王の耳に届くのもどうかというほど下世話なスキャンダルだ。
それに対して、陽子は笑いながら自らの意見を述べたところだった。いくら美人でも兄嫁に、そして息子の嫁に惚れるのはどうか、と。家族としてあるまじきことじゃないか、家族だと思えば、いくらなんでもそんな感情は抑えるべきだろう、と。
そして最後に疑問を口にした。どうしてそんな相手に恋してしまったのだろう。どんな理由で相手を好きになってしまったのだろう、と。
生真面目にそう言った彼女に、浩瀚は僅かに微笑をたたえると、反対に彼女に尋ねたのだった。
「恋をするのに理由が必要ですか?」と。
浩瀚の予想外の質問に、陽子は返す言葉を思いつかず、まじまじと見つめる。そんな彼女に向けて、彼は口元から微笑を消して続けた。
「人が人に惹かれるのに、理由などございませんでしょう。家族であろうが何であろうが関係はない。抑えられない感情と言うものは、確かに存在しますから」
「……浩瀚には、そんな経験があるんだ?」
浩瀚の真摯な様子に気を飲まれて、咄嗟にそんな質問が陽子の口を突いて出た。
彼は驚くでもなく、彼女の瞳をただ静かな目で見つめ返すと、再び淡い微笑を浮かべて、短く静かな口調で答える。
「ええ」
答えた瞬間の、優しい浩瀚の眼差しに、陽子の胸がきゅっと締め付けられる。だが彼女はそれを表に出さずに、ただ小さく笑った。
「そっか。羨ましいな」
そんな恋をしたことのある浩瀚が。そして―――――そんな恋をされた相手が。
陽子の言葉に、浩瀚はひっそりと笑った。
2007 夏