7 「悪魔でも飲み込んだ気分」
「主上は慶の宝なのです。その存在自体が、民の心に安寧をもたらし、官の働く希望となる。あなたの存在そのものが、私どもにとって唯一無二、何物にも代えがたい珠玉の宝であるのです」
「ストップストップ!浩瀚。やめてくれ」
たまらず陽子は浩瀚の言葉を遮った。
「悪魔でも飲み込んだ気分」
小さく呟いて、グッタリした様子で浩瀚に降参と言うように両手を挙げる。
「悪かった。私が悪かったってば。だからもう止めてくれ」
過分な景王を褒め称える言葉は、彼女をいたたまれない気分に陥らせる。普通であれば気分を良くするはずの褒め言葉だが、彼の発する過分すぎる言葉は返って彼女の気分を滅入らせた。
(……たちが悪い……)
ため息プラスお小言の景麒の言葉も心臓に良くないが、浩瀚のこの顔色一つ変えずに滔々と続く褒め言葉…に見せかけた確実に皮肉も精神衛生上良くない。確実に体中から力を奪っていく。
「本当に理解しておいでですか?」
「理解してる。わかった。今度からは絶対に誰かに言ってから抜け出すよ」
ふっ、と浩瀚は息を吐き出した。
「これでも私は充分な譲歩をしているのですよ?」
王が宮中から抜け出すということには目を瞑ろうというのだ。充分な譲歩、理解のある冢宰だと陽子だってわかっている。
それでも時々ついうっかり何も言わずに出てしまうことがあるのだった。バレる前に戻ってこればいいのだが、今回は運悪く浩瀚に見つかってしまった。
陽子は自分が悪いとわかっていながらも、自らの失態を思い出してこっそりとため息をつく。
それを見止めて、浩瀚の目がきらりと光った。
「主上。何も私は意地悪で申し上げているわけではございません。あなたの存在は、ただそれだけで私どもの希望なのです。ましてや、あなたは確実に良い王におなりになる。そんな方を心配しない臣下はおりません」
「ストップ!わかってるから。だからもうそれ以上言うの止めて」
また復活しそうになった浩瀚の言葉を泣きそうな顔でぶった切って、陽子はその無表情の顔を見据えて、しっかりと頷いた。
「絶対約束する。絶対誰かに言ってから出かける。悪かった反省している」
「信用してよろしいですか?」
「信用してくれ。私としても、お前のような忠誠あふれる臣下を心配させるのは忍びないと思っている」
「『忠誠あふれる臣下』……ですか」
(私が何より心配なのは、『景王』ではなく、『あなた自身』なのですがね)
陽子の言葉に、浩瀚は胸の内で呟く。
もちろん、そんなことを彼はおくびにも出さないから、陽子が浩瀚の真実になど気付くはずもない。彼の真実は綺麗に隠して、臣下としての発言にすり替えたうえで言葉にしているのだから。
だからこその陽子の言葉だ。『臣下』と、『忠誠あふれる臣下』と。だが、そうと分かっていても、一抹の寂しさを胸の奥に感じて、浩瀚は自嘲的に微笑を上せた。
「え?」
訝しげに問い返した陽子に、浩瀚は薄い微笑を浮かべたまま、ただ小さく首を横に振る。
彼の真実は、まだ胸の中だ。
まだ……けれどきっと―――――永遠に。
浩瀚は自らの想いに堪えるように、きゅっと拳を握り締めた。
2007 夏