秋祭り
目の前に高々と積まれた、秋の惠。これでもかと見せつけているとしか思えないほどの彩り豊かな農産物の数々。
「全ては主上のご威光の賜物でございます」
建州の州侯が口上を述べ深々と頭を下げると、周りの者も習ったように頭をたれた。
建州城の大広間で、陽子はその様をザッと見渡して、最後に農産物にまた目を留める。
山と積まれた秋の収穫物。先ほどまでの視察で見た、村々の様子に人々の姿。
少しづつ、少しづつ。
けれど確実に歩み始めている自らの国の姿に、たまには自分を褒めてもいい気がして、陽子は満足そうに頷いた。
秋の収穫時期。陽子は毎年一つづつ州を周っては、その出来を確認することを、ここ数年の習慣にしていた。
今年は建州。慶国でも北に位置する州の一つだった。
「やっぱり北は肌寒いな」
王の為に用意された部屋の露台に出ていた陽子は、そう言って部屋の中を振り向いた。
「それはそうでしょう。北から寒気が吹き込みますから」
部屋の中から届いた、どこか無愛想な浩瀚の返事に、陽子は小さく苦笑をもらすと、露台から部屋に戻ってきた。
「まだ怒ってるんだ」
「怒ってなどはおりません」
「そういう態度が怒ってるって言うと思うけど」
困ったような表情ながらも楽しそうに言って、陽子は傍に置いておいた箱を引き寄せた。
気分を損ねていることがよくわかるような冷たい視線に、陽子はにっこりと笑って箱を開けた。
「これ、浩瀚の分だから。着替えたら、行くよ」
箱の中には、洗いざらした硬い布地の、庶民の着るような衣装一式が入っている。
声に出さずに、ただ視線だけで意に染まぬことを告げる浩瀚に、陽子は笑顔で応じた。
「やっぱり実際に民の中にまぎれないと、本当の様子はわからないんだ」
「……主上のそのお考えは承知しております。しかしどうして今回は私まで?」
陽子が時々そのような行動に出ていることは、浩瀚だとて知っている。今さら咎める事ではなかった。
けれど今回は、浩瀚も一緒に、と言う。そのために、彼をこの収穫期の建州訪問に、あえて連れてきたのだ。
そんな浩瀚の疑問に陽子は自らの衣装の箱を手にしながら答えた。
「浩瀚も、知るべきだと思うから。金波宮からデータだけで、物事を判断してばかりでは危険だ」
「私の判断に問題があると?」
不快そうに言われた言葉に、陽子は慌てて首を振る。
「そういうんじゃなくて。浩瀚のことは頼りにしているし、その判断を疑う訳じゃないんだ。ただ……自分の出した決断がどんな結果になっているのか、実際に見ることが必要だと思う……」
口にして、それから陽子は、もう一度首を振ると、言い直した。
「私は、ただ、浩瀚に、私が大事にしているものの姿を、一緒に見て欲しいんだ」
陽子の一生懸命な様子と、そして浩瀚が弱いお願いモードの目線に、一度息を吐くと、浩瀚は箱を手に立ち上がった。
「わかりました。ご一緒します」
陽子の顔に、嬉しそうな表情が広がった。
結局のところ、浩瀚は陽子に弱いのだった。
□ ■ □
目の前に広がる、刈り取りの終わったばかりの農地で、幼い子どもが転がるように走り回って遊んでいる。
村の広場では、人々が明るい顔で歌を歌いながら、忙しなく働いている。
そんな人々に時折声をかけて、陽子はいくつかの村を回った。
大収穫とは、まだ呼べないレベルでも、それでも確実に収穫は上がって、人々の表情は明るくなっている。
「な、楽しいだろう?」
村人に劣らぬ嬉しそうな表情で問いかける陽子に、浩瀚は眩しげに目を細める。
「毎日毎日、頑張ってよかったー、って思わない?」
「そうですね」
あなたのその笑顔が見れるなら。
浩瀚にとっては、村人の表情よりも、陽子の表情にこそ、そう思わせられる。
見上げれば、高い空に、規則的に並んだ薄い雲。少し冷たい、けれど爽やかな風に、暖かな日の光。そして笑顔の陽子。
「幸せ、か」
聞こえぬほどの小さな声で浩瀚は呟く。
「さ、次に行こう。次の街で秋祭りをやってるはずなんだ」
陽子が浩瀚の腕を捕らえて、そう言った。
□ ■ □
着飾った格好をした人々が、街を弾むような足取りで歩いている。通りには屋台が建ち並び、食欲をそそる匂いが漂っている。
一際大きな歓声が上がった方を見れば、大道芸の人だかりだ。気付けば、賑やかな人の声に消される事なく、どこかで演奏している音楽も聴こえてくる。
「あー、やっぱりいいよね」
嬉しそうにそう言って、陽子は浩瀚を見上げた。祭の雰囲気にすっかり浮き立って、陽子の顔ははち切れんばかりの笑顔だった。
「私、お祭が好きなんだ。ワクワクするだろう?」
そして浩瀚の応えを待たずに、少し笑顔を押さえて、続けた。
「無理やり連れてきて、悪かった。民の様子を見たいっていうのも本当なんだけど……だけど今回の一番の目的は……一度浩瀚とこんなデートをしてみたかったんだ」
陽子の謝罪とその様子に、浩瀚は暫し言葉を失った。
反則だった。こんなことを言われると、いつもの自分を見失いそうな気さえする。
苦笑まがいな笑みを浮かべると、浩瀚は陽子に手を伸ばした。
「もうお気になさらずに。主上のおっしゃることも尤もだとわかっておりますので。……というよりも、あまり私を喜ばせないでいただきたいものです」
出された手に、自分の手を重ねながら、陽子が嬉しそうに言う。
「浩瀚も私と普通の恋人みたいにデートしたかったんだ?」
「そうですね」
応えて、ふと浩瀚は立ち止まる。陽子が訝しげに彼を見上げた。
「浩瀚?」
「主上のお願いを聞いてここまで来たのですから、主上にも私のお願いを聞いてもらいましょうか」
「お願い?浩瀚が?珍しいね」
目をぱちくりとさせると、陽子は笑顔で先を促した。
「いいよ。何?」
「へ、変じゃない?」
「良くお似合いですよ」
生地の質はお世辞にもいいとは言えない、けれど晴れ着用で華やかな女性用の衣装を身に付けて、陽子は店から通りへと足を踏み出した。
その何とも腰が引けた様子に、浩瀚が笑って腕を差し出す。
「慣れていないわけではないでしょうに」
平時は官服を身につけるのが常になったとはいえ、祭事や儀式の時は女王の衣装を身に付けているのだ。女性用の服にそれほど違和感があるとは思えない。
そう浩瀚が尋ねると、なんとも居心地が悪そうな様子を残しつつ、陽子は差し出された腕に腕を絡めた。
そして困ったように笑う。
「そうなんだけど、こんな普段着としての女物って久々だから。しかしお前のお願いがこれとは思わなかった。………もしかしてこっちのほうが好きなのか?」
「普段の主上も好きですよ。でもたまには私も主上を着飾らせて眺めたいのですよ」
「なら、たまには着てみようかな」
「よろしくお願いします」
クスリと笑って、陽子は絡めた腕にしがみついた。
「じゃ、お祭を楽しもう。せっかくだから、普段出来ないくらい恋人同士っぽくイチャイチャしよう!」
陽子の楽しい誘いに、浩瀚はただ笑みをこぼした。
「晧矢(こうし)、晧矢じゃない?」
屋台をひやかして歩いていた二人は、突然声をかけられて、歩みを止めた。
振り返った先には、美しい女人たち。高く結い上げた髪に挿した簪のギラリと日の光を反射する輝きといい、どこか婀娜な姿態といい、緑の柱…とまではいかなくても、それに近い場所で働く者たちであることがわかった。
「まぁ、久しぶりだこと。この街に来たんなら、寄ってってくれたらいいのに。つれないわね」
「相変わらずいい男ぶりだわぁ」
「まさか覚えてないなんて、言わないわよね」
口々に言って近付いてくる彼女達の視線は、もちろん陽子の隣の浩瀚に向けられている。
何とも言えずに陽子が見上げると、浩瀚は苦虫を噛み潰したような表情で、彼女達から陽子をかばうように一歩を踏み出した。
けれど、彼女達がそれで気付かないわけもない。
「アラ、なにこの小娘」
一人が口火を切ったのを幸いに、他の二人があからさまに軽侮の笑みを浮かべて、舐めまわすような視線を陽子に注ぐ。
「まさか晧矢の女とか言わないでしょうねぇ」
「こんな貧相な小娘が、そんなわけないでしょ」
ぶつけられる言葉と態度に、陽子はただ言葉もなく立ちすくんでいるように見えた。
そんな彼女に、勝者の驕りで彼女達の遠慮のない言葉が降りそそいでいく。
「お前達っ!」
さすがに浩瀚が声を荒げて制止しようと動いた。
知らないとはいえ、彼女はこの国の王なのだ。しかも、浩瀚にとっては唯一無二の存在である。
陽子を侮辱する事は、自分を侮辱される事と一緒だった。
「なぁに晧矢(こうし)ったら」
媚(こび)混じりの不満げな視線に、浩瀚の表情が一気に冷え切った。瞳は氷点下のような冷たさだ。
「なによぉ」
息巻いていた彼女達であっても、さすがにその温度差に気付かないわけもなく、声が小さくなる。
本来の浩瀚自身を知らない者たちにでさえ、こんな彼は危険だと本能で分かるのだ。もちろん金波宮の官吏たちで知らない者はいない。
なんとも気まずく緊迫した雰囲気がその場に漂った。
と、まるで場の雰囲気を読めないかのように、突如笑声が起こった。
「なによ、アンタ」
「なに笑ってんのよ」
声の主に、女性達から険のある声がかかる。
「ごめん、悪い悪い」
クスクスと始まった笑いは、次第に大きくなっていく。陽子は笑いながら、浩瀚の腕をつかむと言った。
「浩か…晧矢も大人気(おとなげ)ないことするなって。私が小娘なのは事実なんだし」
「しかしっ」
「いいっていいって。けどお姉さんたち、ごめんね。晧矢は私のものだから、諦めて」
にっこりと陽子は笑って、見せつけるように浩瀚を抱き寄せた。
彼女達が気を飲まれて反論も出来ずにいるうちに、陽子と浩瀚は逃げるようにその場を立ち去った。
いくつか角を曲がって、一際人が多い大通りに出て一息つくと、浩瀚は陽子の様子を窺って口を開く。
「あの、主上」
自分らしくないとは自覚しつつも、何か言っておかねば、という気にさせられたのだった。
けれど、通りの賑わいに目を留めていた陽子は言葉が耳に入った様子もなく、その賑わいの中心が何かを知ると、顔を輝かせた。
「浩瀚、踊りだ!」
「え?」
彼女の視線の先には、着飾った街の人々が、輪になって踊っている。子どもも大人も老人も、みんながみんなそれぞれステップを踏みながら、くるくると踊っていた。
「私たちも踊ろう」
浩瀚の返事も待たず、陽子はその腕をつかんで踊りの中に向かう。
引きずられるように人ごみの中を歩かせられながら、それでも浩瀚は反抗を試みた。
「申し訳ないのですが、私はこの踊りを知りませんので、勘弁していただきたいのですが」
「私も知らない」
陽子は振り返って、笑って浩瀚を見る。
「けれど、みんな自分好みのステップを踏んでるみたいだから、気にしなくていいんじゃないか?」
言われてみれば、輪になって音楽に合わせて踊っている、というのが共通点なだけで、ステップはそれぞれ異なるようである。
笑顔で踊りを楽しむ人々。
「ほら、両手を出して!」
いつの間にか踊りの輪に加わっていた二人は、両手を繋いで、見よう見真似で踊り始めた。
めちゃくちゃなステップで、それでも音楽に合わせて踊っていると、訳もなく楽しくなってくる。
二人はそんなふうに暫らく踊ってから、切りをつけて輪から外れた。
「ああ、楽しかった。けどそろそろ戻らないとダメかな」
息を切らしながら陽子は言って、傍の露店を指差した。
「最後に何か食べよう。あれなんかどう?」
「どうせならあちらの商店の物のほうが美味しいですよ。この街の名物ですし」
別の店を指差して答えた浩瀚に、陽子の瞳が楽しげに光った。
「詳しいね、浩瀚」
「……」
彼らしくもなく口をつぐんでしまった姿に、陽子が笑い出す。
その時。
「晧矢(こうし)!見つけたぜ!」
人々のざわめきの中でも一際響く大音声で、野太い声が叫んだ。
「オマエ、よくこの街に再び顔を出せたもんだなァ」
どしどしと近付いてくる大男とその取り巻き数人の、風体の悪い様子に、陽子は驚いてマジマジと彼らを見つめて立ち尽くした。
そんな彼女の腕を浩瀚はつかむと、短く声をかけて、素早く踵を返して駆け出した。
「主上、逃げますよ!」
走って逃げて、街の小路に詳しい浩瀚の先導で、やっと彼らを巻いてしまうと、店の影で二人は立ち止まって息を整えた。
「なんか逃げてばかりだな」
笑って陽子はそう呟くと、隣の浩瀚を見上げた。
「ここに居たことがある?」
「はい。暫らくここに隠れ住んでおりました」
申し訳無さげに応える浩瀚に、陽子は呆れてその顔を見つめる。
「だから街や村に来たくなかったんだ?」
「……主上にご迷惑をおかけすることになって申し訳ありません」
「無理やり連れてきたのは私だから、気にしなくていい。……けど……」
チラリと浩瀚を見て、陽子は続けようとした言葉を飲み込んだ。
だが陽子が途中まで口にしようとしたことを、浩瀚が気付かない訳もない。
皮肉げな笑みを浮かべて、口を開いた。
「昔彼らと少しいざこざがございまして」
「あ、いい。言わなくていい」
「お知りになりたいのでは?」
「なんか知らないほうがいいような気がする」
ぶるぶると顔を振って陽子は言うと、話を無理やり終わらせる。
「それより、もう戻ろう。……惜しいといったら買い食い出来なかったことくらいかな」
愛嬌たっぷりに言って、陽子は街外れに向かって、先にたって歩き始めた。
□ ■ □
「いろいろあったけど、楽しかったな」
騎獣に乗って州城へと向かいつつ、浩瀚の背にしがみついた陽子はクスクスと笑う。
「また来たいな」
「そうですね」
女物の衣装のために、横座りになって手綱を浩瀚に任せている、そんな自分の姿に、陽子はまた小さく笑った。
「どうなさいましたか?」
「ううん、別に。ただ、こうやってると普通のどこにでもいる恋人同士みたいだなーって思って、ちょっと嬉しくなっただけ」
浩瀚の動きが一瞬止まる。陽子はポンポンと安心させるように彼を叩いた。
「心配ない。王様稼業が嫌になったってわけじゃないから。気分転換にこういうのは悪くないなって、話だよ」
「……さようですか」
「うん」
応えて陽子は眼下に広がる景色が夕暮れ色に染まっていくのに視線を落とした。
ポツリポツリと現れる集落の家からは夕飯の煙が立ち昇っている。動物がのんびり草を食んでいる姿も見えるし、子どもが日が落ちきるまでの最後の瞬間まで遊ぼうと走り回っているのも見える。
これらすべての生活が自分の肩にかかっていて。とても重くて重くて。
けれど、なんて愛しいのだろうと、陽子は思った。
感慨にふけって黙りこくった陽子に、何かを察した浩瀚が静かに声をかける。
「美しいですね。すべて我らの為した結果です。主上の仰るとおりでした。自分の目で見なければ分からない実際の姿というものを感じる事が出来ました。……主上の大事になさるものを私も身に染みて感じました」
静かな口調は秋の風のように、少し冷たさをもった爽やかさで大気に混じるように耳に届いて。
陽子は満足そうにふわりと笑むと、浩瀚の背に頬を押し当てたのだった。
了
<後書き>
2004年秋の『離宮秋祭り』で連載していたもの。秋らしく、温和に幸せムードでデートしてもらおう!という目論見でした。
案外こういうのだと、ネタを広げにくいのだな…と気付いた話でした(笑)2004.秋