春色模様


 


「なあ、浩瀚」
「なんでしょう?」
 それは、執務中のこと。陽子にとって、まだまだわからないところが多い政務の決裁には、助言や解説を行うために常に浩瀚か景麒が傍についている。今もそんな時で、今日は浩瀚の番だった。
 陽子は、解説資料を書簡の中から探している浩瀚に、一つの決心をして呼びかけた。
 書簡から顔を上げて向けられた涼やかな顔をじっと見据えて、口を開く。
「好きなんだ」
 場も場だし、そんな雰囲気の欠片もなく行われた、突然の単刀直入の告白に、浩瀚の反応を陽子はじっと見守る。
 我ながら、なんとも素っ気無い告白だと心の中では自嘲しながら。
 驚く素振りも見せずに、ただ暫し反応を遅らせた浩瀚だったが、そんな陽子の視線を受けて、わずかに笑みを滲ませた。
「それは、光栄に存じます」
「……」
 そうサラリと返されると、どう次の対応を取ればよいのか戸惑ってしまい、陽子は知らず眉根を寄せた。
 もしかして、意図がちゃんと伝わっていないのだろうか?とか、本気にされなかったか?とかいう思いが続いて押し寄せる。
 そんな彼女の逡巡を知ってか知らずか、浩瀚は笑みを滲ませたまま、わずかに礼をとった。
「今後も主上の御為に全力をつくします」
 そう告げると、書簡を探しえたらしく、一つを取って書卓の上に広げた。そしていつもと変わらない様子で解説を続ける。
「………」
 さすがにどうすべきか思いあぐね、陽子は眉根を寄せたまま、書簡に視線を落とした。耳に届く彼の声は心地よい。よいが、今ばかりは内容は頭に入らない。
 浩瀚の顔を盗み見ても、告白された後の余韻めいたものさえ残っていない。
「………」
 無視された―――――。
 次第にその事がわかってくるにつれて、陽子の胸に沸々としたものが湧き起こる。
「―――と、こういうわけですが」
 おわかりですか?と説明を終えた浩瀚に視線を向けられて、難しい顔を解くこともせず、陽子は咄嗟に応えた。
「……わからない」
 書簡の内容も浩瀚の気持ちもわからない。拗ねた子どものように呟いてしまい、陽子はハッとした。ハッとして、そして―――――、勢いよく立ち上がった。
 何とも中途半端な状態で、次の手段が取れない状況に置かれた。というかそう思えなくても、陽子にしては決死の告白だったのに、それを無視されたということ。
 こんな状況で、いくら仕事とはいえ、説明を聞いても内容が頭に入るわけもない。それくらいなら、ひとまず気持ちを切り替えるための時間を取ったほうが有意義だ。
「少し散歩をしてくる」
 叫んで、浩瀚の応えもまたずに、陽子は部屋を飛び出した。

 

□ ■ □

 

 扉が閉まって、一人部屋に残された浩瀚は、手元の書簡を片づけて脇に寄せ、椅子に座り込むと、その手に顔を埋めた。
 そして、長いため息をつく。
「驚いた」
 突然の陽子からの告白。出逢ってそれほど長くはないが、それでも常時傍に控えているのだ。先ほどの素っ気無いほどの、だからこそ彼女らしいのだが、告白が本気だという事は浩瀚にはわかっていた。
 わかって、そして、彼らしくもなく、どうしたらいいのかわからずに、つい無視するような対応を取ってしまったのだった。
「どうしたものだろうか」
 手から顔を上げた彼の顔は、普段の彼を知る者からすれば驚くほど、困惑した表情をしている。加えて……その頬はわずかに朱に染まってさえいた。
 けれど暫らくすると、困惑した言葉と裏腹に、次第に、その口元に笑みがのぼってくる。
 嬉しいのだ。
 自らがとった行動を思えば、そんな場合ではないと思うのに、浩瀚の胸に湧き上がる感情は抑えようもない。
 色気もそっけもない、けれど、鮮やかにさえ思える陽子の告白。
 思い返してみれば、鮮明に心に刻みついて一生忘れる事など無理そうだと、思う。
 陽子が消えた扉に目をやって、浩瀚はまた両手に顔を埋める。突然誰かがやって来て、自分の今の顔を見れば、訝しがるに違いないと、そう確信出来るほど自分は今幸せな顔をしているはずだ。
 一生、どうにもならない相手だと、浩瀚は思っていたのだ。
 傍にいて常に接するようになって、どんどん惹かれていく自分を自覚して、けれど、それ以上距離を縮めることは、してはならないと、戒めていた。
 王と冢宰という立場。それよりも、何事にも一生懸命な彼女を、自分の為に悩ませてはいけないと、だから……自分などそのような対象外だと、そう思って自分を納得させて。
 その代わりに、信頼に足る側近として彼女の役に立とうと、無理やり思い込んで、努力してきた。
 しかし、その彼女が、自分を慕ってくれている、という。
 なんという喜びだろうと、目が眩むような気さえする。
 突然目の前に現れた、予想外の幸運に、咄嗟に取った自分の行動は褒められたものではないが、気が動転したにしては良く出来たほうだと、浩瀚はしみじみと思った。
 もちろん、このままでいられるわけもないのだが。
 廊下をこちらに向かって歩いてくる軽い足音が聞こえて、顔を上げた浩瀚は居住まいを正す。
 おそらくそこらを一周して、陽子が戻ってくるのだろう。いくらどこかへ散歩に行くと言っても、責任感のある彼女の事、そう遠くまで行って仕事を放りっぱなしにすることなど出来なかったに違いない。
 けれど、この短い間に、陽子は何がしかの結論を出したはずなのだ。そうでなければ、戻ってくるはずもなかった。
 彼女が次にどのような行動に出るのか、その鮮やかさを想像して、そしてまた自分の対応が今度は彼女を困らせずにすむようにと願って、浩瀚は、陽子が扉を開けて入ってくるのを、じっと待っていた―――――。

 

 

 


<後書き>
陽子に翻弄される、オトナな浩瀚様にときめきますv

慣れていないので、十二国記世界での物の名前がかなり嘘っぱちかも知れません…。気づいたらその時々で直していきます。

2004.5.17

→モドル