天人午睡1 〜プチフール〜
「ちょっと手を休めたらどう?こっちでお茶にしましょう」
飾り格子の美しい窓の傍に据えられた卓に、お茶とお菓子を置いた鈴が、書卓で書簡と格闘している陽子に声をかけた。
「どうせ緊急ってわけじゃないんでしょう?」
「そうだけど」
笑みを含んだ声で言われて、苦笑を浮かべると、陽子は筆を置いて立ち上がった。
格子越しに入る外の光が、眩しいほど明るい。わずかに目を細めて窓辺にやってくると、湯気を立てるお茶に、笑みが誘われた。
「いい匂い」
「でしょう。氾王さまからのお届けものよ。祥瓊が陽子に飲ませてってさっき持ってきてくれたの」
「そんな話、聞いてないぞ。氾王からの届け物なんて」
「だから、さっき着いたばかりみたいよ」
「報告もまだの物を、さっさと飲むなんて、なんか順番おかしくないか?」
「別にどっちだっていいじゃない。どうせ誰かが確認済みの目録をそのうち持ってきてくれるわよ」
それよりも、飲みなさいよ、と急かす鈴に、半分釈然としないものを感じつつも、香りに誘われて、陽子は茶器に口をつけた。口にした途端に、芳しい香りが口の中いっぱいに広がって、そして体中に染みわたる。
品のよい芳香と味に、送り主の姿が思い出されて、陽子の唇に笑みが上った。
「美味しい?」
「もちろん。鈴も飲んだら」
「うん、そうする」
遠慮なく陽子の前に座ると、女御ではなく友人の顔で、鈴は茶器を手に取った。そして一口飲んで、声を上げる。
「本当、美味しい」
「さすが氾王、というべきだな」
「本当ね」
しみじみと美味しいお茶を味わい、甘い茶菓子を口にして、二人はほんのりと幸せをかみしめた。他愛無い話を交えてお茶をする、年頃の女の子らしい、そんなひととき。
そのうち、話がふと途切れたのを見計らって、陽子の顔を見据えた鈴がニッコリと微笑んだ。微笑んで、そして茶器を手にしていた右手の人差し指を器用に陽子に向ける。
「ところで陽子、あのね、あたし、気になってることがあるんだけど」
「なんだ?」
機嫌よく応じた陽子に、鈴の爆弾発言。
「浩瀚さまが好きなんでしょ?」
ガチャン。
勢いよく立ち上がった陽子の手から、茶器が残っていた中身ごと卓へ落ちた。
「あら、あんまりお茶が残ってなくてよかったわね」
暢気にそんなことを呟いて、転がった茶器を取り上げる鈴に、動揺も露わに、陽子が叫ぶ。
「な、なんで、そのこと」
「えー、わかるわよ。わかるけど、一応確認しておこうかと思って」
見上げてニッコリと笑う鈴の瞳の光はひどく優しい。からかいの欠片もなく、ただ温かだ。そのことに気づいて、陽子の気持ちが急速に落ち着いた。
椅子に座りなおして、濡れた卓の表面を布で拭く鈴の手を見ながら、一度息を吸ってから、恐る恐る問いかけた。
「もしかして、傍から見たら、バレバレなのか?」
「バレバレ…ってこともないわよ。あたしはわかるけど」
「なんで?」
「……経験、もしくは年の功、かしらね」
言って鈴は明るく声を立てて笑う。そういえば、彼女の彼氏が話を聞くたびに違うことを、この時になって、やっと陽子は思い出した。
鈴が新たなお茶を用意して、陽子に差し出す。
「あ、協力するとか言いだすわけじゃないから安心して。……この場合、協力という名目の余計なお節介、という意味での協力ってことだけど」
鈴が片目をつぶってみせる。
「ま、あたし、あまり陽子のことは心配してないから」
その言葉に、陽子は視線を上げた。ひっかかるものを覚えて、新たに注がれたお茶に手を伸ばしながら、鈴の顔を窺う。
「どうして」
「だって、陽子とあたしは、そりゃ時代が違うけど、倭出身じゃない。ある程度、経験があるわけでしょ。初恋とか。だからよ」
「確かにそうかもしれないけど、でも、私は女子校だったし、あまり経験豊富ってわけじゃないぞ」
「でも、よ。一般感覚があるじゃない。実際、自分が浩瀚さまが好きって自覚してるし。だから心配してないって言ってるの」
落ち着いた様子でお茶をすする鈴に、眉根を寄せた陽子は、首を傾げて暫らく考えた後、小さく問いかけた。
「もしかして、祥瓊?」
陽子の質問に、我が意を得たりと、鈴が強く頷く。
「そうよ祥瓊。あの子、ずーっと公主様として育ってきてるからそういうのに疎いのよねー」
「でも、祥瓊モテるし……後宮とかにいるほうが、かえって早熟…って感じがしないか?」
「普通はそうだと思うんだけど、祥瓊の場合は違うわね。お父さんとお母さんに本当に大事に、それこそ後宮の奥深くで大切に大切に育てられたんでしょ」
「……言われてみれば、そんな気、するかも」
美人で、そして気の強い彼女を思い浮かべて、陽子は頷いた。確かにどうにも恋愛ごとに鈍そうな気がする。同意を示した陽子に、困った妹を持った姉のような風情で、鈴がため息をこぼした。
「あたしにしては、あっちのほうが心配だわ。……ってもちろん、陽子のこと、応援しないわけじゃないのよ。あたしに出来る事があったら言ってちょうだい」
「……ありがとう」
頼もしい味方の登場に、なんとなくホッとしてそう応えると、陽子はお茶の残りを一気に飲み干した。
体中に染みわたるお茶の風味に、さらに気分が和んで、陽子はまどろむようにまぶたを閉じた。
<後書き>
メインタイトルとサブタイトルのこの違いはいったい…(笑)女の子三人組は大好きなので、今後バシバシ書きたいです。ああなんか夢が広がる…(幸)
2004.5.30