天人午睡2 〜フルール・ド・フルール〜


 


1.祥瓊

「あら、どうしたの、それ?」
 楽俊が小さな花束を手にしているのを見とめて、祥瓊はそう声をかけた。
 彼には似合わず、とは失礼かもしれないが、楽俊が持つ物にしては、珍しい物には違いない。
 ホタホタと廊下を歩いてきた楽俊は、祥瓊の質問に、表情を和ませた。
「街に下りたら、小さな女の子が売ってたんだ。だからつい、な」
「楽俊らしいわね」
 その様が容易に想像できて、祥瓊が微笑む。
 春のこの季節、街にはたくさんの花売り娘が道行く人に花を売って歩いている。たいていは貧しい家の小さな少女で、彼女らは街の外で手に入れた野の花を売って、小金を稼いでいるのだ。
 そんな彼女達が存在する事は、まだこの国が発展途上だということでもあるし、一方で、花が咲くほど復興してきている、とも言えた。
 楽俊の手の小さな花々を、そんなふうに祥瓊は感慨深げに眺めていたが、楽俊はそんな彼女にそれを差し出した。
「祥瓊に、やるよ」
「え?」
 差し出されるままに受け取って、けれど祥瓊は思いもしなかった展開に目を見開く。
「でも」
「おいらが持ってても仕方ないからな。祥瓊にやろうと思って探してたんだ」
 優しい光を湛える瞳の下で、春の風が楽俊の髭をそよがせる。
 楽俊から今は自分の手にある花束に視線を落として、祥瓊はまじまじとそれを見つめた。小さな花の素朴な形と、けれど力強さを感じるその姿に、視線を奪われる。
 少しの間の後、祥瓊はニコリと笑って言った。
「ありがとう」
「どういたしまして。ま、高価な花じゃないけどな」
 そのどこか揶揄るような楽俊の声の響きと視線に、祥瓊が軽く睨む。
「いやね、楽俊ったら。私はもうそんなお馬鹿さんじゃないわ」
 楽俊に会った頃の自分であったら、絶対に受け取らないような花束だ。それを明らかにからかわれて、さすがに気恥ずかしい思いで反論すると、祥瓊は花束を持つ手に力をこめて、まっすぐに楽俊を見つめる。
 そして、花が咲くように笑った。
「今はこれが一番嬉しい。ありがとう、楽俊」
 本心からの祥瓊の言葉に、楽俊の顔が嬉しそうにほころんだ。




2・鈴

「その花、どうした?」
 問われて、手一杯花をかかえていた鈴は、回廊で立ち止まった。
 花に視界を奪われて、足元ばかりに落としていた視線を上げると、桓タイが自分を見下ろしている。
「摘んできたの。陽子の部屋に飾ろうと思って」
 答えた鈴に、
「そんな花、庭に咲いていたかな」
 記憶を探るように、桓タイがわずかに庭に視線を彷徨わせた。
「あたしが育てたのよ。中庭の奥でね」
「おまえが?」
 鈴の答えがよほど意外だったのか、桓タイの眉が上がる。
「意外?」
 茶目っ気たっぷりに鈴が笑うと、桓タイは素直に頷いた。
「他人からもらうことはあっても、自分で育てるような者だとは思っていなかった」
「そうかも、ね」
 自分の持つ花束に顔を埋めるようにして、鈴は悪戯っぽく笑う。
「育てても食べらるものじゃないし、だいたい嫌な思い出もいっぱいあるし。だけど、最近、花を育てるのも結構いいかなぁって、思うようになったのよ」
「ほう」
 桓タイの眼差しがやわらかで優しいものになった。その視線をまっすぐに見つめ返した鈴に、桓タイが褒めるような語調で言う。
「それは、よい変化だな」
「でしょ?あたしもそう思う」
 言って鈴はにっこりと微笑むと、手の中の花を数本差し出した。わかってくれる人がいて、とてもいい気分だった。
「あげる。どこかに飾ってちょうだい」
「じゃ、遠慮なく」
 そして、二人は花を手に、それぞれ回廊を反対方向に歩き出した。



3・陽子

 机の上に置かれた花瓶の前に肘をついて、その花を眺めては、時々戯れに触れてみたりする。
 そんな陽子の姿に、部屋に入ってきた虎嘯が声をかける。
「どうしたんだ、陽子」
 不思議そうな大僕の問いに、何も言わずに、陽子はただ唇に笑みを乗せた。
「その花、どうしたんだ?」
 確か自分がさっき部屋を出る時にはなかったはず。と、こぼれんばかりの花々に、陽子の視線につられるように目をやって、虎嘯は尋ねた。
「鈴が、持ってきてくれたんだ」
 答えて、また指で意味もなく花を突付いている陽子を見て、虎嘯の顔に自然、笑みが上った。
「やっぱり陽子も女だな。花がそんなに好きなのか?」
「うん。綺麗だし、なんか和むしね。特に人からもらう花って、いいよね」
 彼女の答えに、虎嘯が淡く苦笑する。
「冢宰は、くれないのか?」
「もらったことないなあ」
「そんな朴念仁な方じゃないと思ってたけどな」
 傍目から見たら怜悧で感情に乏しい人間に見えるかもしれないが、少しでも彼の人となりを知れば、彼が単に仕事や頭脳だけの人間じゃない事はよくわかる。
「女に花の一つも贈らないなんて、意外だな」
「うーん。そうだよな。なんか理由があるのかな」
「さてなあ」
 暫らく二人して首をかしげて悩んだ後。
 陽子が虎嘯をいたずらっぽく見上げて尋ねた。
「で、虎嘯は最近誰かに花を贈った?」
 振られた質問に、虎嘯は記憶を探って虚空を見つめる。そして、生真面目に答えた。
「ないな。昔、一度だけ贈ったけどな」
「駄目じゃないか。浩瀚のこと、言えないぞ」
「そうだよな」
 そして二人は声を立てて笑った。

 

 


4・珠晶

「綺麗な髪飾りだね、珠晶」
 驚いて振り返ると、窓辺に利広が立っていて、珠晶はため息をついた。
「うちの人間は何やってるのかしら。こんなに簡単に王の私室に入ってこれちゃうなんて問題だわ」
「みんなちゃんと働いてるよ。……ただ私のほうが一枚上手なだけだ。だから、叱ったらかわいそうだよ」
 尤もだけれど納得するわけにもいかなくて、珠晶は何も言わずに肩をすくめると、手にしていた書簡類を机に置いた。
 立ち上がって長椅子に移動した彼女の髪でキラキラと光を反射する髪飾りに、まぶしげに目を眇めると利広は改めて口にした。
「その髪飾り、綺麗だね」
 耳に心地よいほどの、愛想のよい物言いに、珠晶が心持ち胸を張って言う。
「素敵でしょ。範国製よ」
「かなり高価そうだね」
「供麒からの贈り物だから、具体的な値段は知らないけど、まあ、かなりするわね」
 珠晶がクスリと笑うと、その動きでまた髪飾りがキラキラと輝く。
 玉石をはめ込み、七宝で焼いた、花を模した髪飾りは、大変華やかで、この若い女王によく似合っていた。
 利広は窓に体を預けながら、笑顔で、その髪飾りを褒める。
「供麒にしては、センスのいい贈り物だね」
「そんなわけないじゃない。うちのぼんやりさんに、こんな気の利いた物、買えるわけないでしょ。あたしが自分で見立てて範に注文したのよ」
 予想通りの話に、利広の笑顔に悪戯めいたものが混じる。
「で、請求書は供麒行き、というわけだ」
「そうよ」
 軽く息を吐くと、珠晶は自分の髪飾りに指で触れた。
「こんな豪華な物、自分で買ったら、官吏たちに何言われるかわかったものじゃないもの。『万賈の娘だから贅沢好き』とか『国庫を私物化して』とかね。だけど、あたしだってたまにはご褒美をもらったっていいと思うのよね。こんなに頑張ってるんだし。だから、供麒からの贈り物ってことにしたのよ。在位25周年の」
 一気に言った珠晶を楽しげに見つめていた利広は、相変わらずの彼女らしさに苦笑を浮かべて、これを知らないうちに買う羽目になっていた、気のいい麒麟を思い浮かべた。
 そんな彼に、珠晶がさも当然という顔で、手を伸ばした。
「で、利広。あなたの贈り物は何なの?持ってきてくれたんでしょ?」
 利広の苦笑が深くなったのは、言うまでもない。

 



5・廉麟

「まあ、そのお花、どうなさったの?」
 そろそろ執務に戻る時間だろうと予測して、王の部屋にやって来た廉麟は、執務机の大半を占めた大輪の花々に、驚いて声を上げた。
 濃い紅色の大ぶりの花が、花瓶に生けられるでもなく、机に広がっている様は、夢のように綺麗であった。が、女官たちがこんな状態で置いているわけもなく、やわらかな笑みで廉麟は、為した当事者に視線を上げた。
 服を改めて戻ってきた廉王は、廉麟に屈託のない笑顔を向ける。
「台輔が喜ぶと思って、採ってきたんだ。ちょうど今日、咲きそろったからね」
「主上がお育てになったの?」
「そうだよ。台輔が前にこの花が好きだといっていたから」
「まあ、よく覚えてらっしゃったのね。とても嬉しいわ」
 確か街の視察に下りた時、花屋にあったこの花を好きだと言ったことがあった。けれど、それは随分前のことだ。
 嬉しそうに微笑んで、廉王が机から取り上げた花たちを、手いっぱいに抱えた廉麟は、綺麗な花をもらったことよりも、彼がそのことを覚えていて、しかも自ら自分の為に育ててくれた、という事実で幸せいっぱいになった。
「でも、大変だったのではないの?主上は作物を作っても、花は育てたことがなかったでしょう?」
 廉麟の指摘に、廉王が照れたように笑って、頭をかいた。
「実はここまでになるには、大変苦労したんだ。だから、台輔に贈るのが、こんなに時間がかかってしまった」
「ああ」
 執務の間を縫って一生懸命育てていたんであろう、その姿が想像できて、廉麟は笑みを更に深めた。
「本当に嬉しいわ。ありがとう、主上」
 彼女の言葉に、廉王がにこりと笑い返した。

 




OUT・浩陽

「浩瀚って、花が嫌いなのか?」
「…突然何ですか?」
 仕事が一区切りついたところで、陽子は鈴の飾ってくれた花のことを思いだすと、目の前の男にそう尋ねた。
「贈ったりするの、嫌い?」
「嫌いではありませんが?」
 予期せぬ質問に一瞬面食らった様子の浩瀚は、彼女の質問の意図を汲みかねて、返答を質問に代えて、陽子を見る。
 けれど彼女の視線は浩瀚ではなく、別の方向に向けられていた。そちらに視線を向けた浩瀚は、彼女の視線の先に花が飾られていることに気付いた。
 そして彼女の質問の原因を悟る。
「あれは誰かからいただいたんでしょうか?」
「うん。鈴から」
「ああ」
 陽子に懸想する何処かの男ではなく、彼女の親友の一人の名前が出て、そのことに安堵しつつ、浩瀚は陽子に視線で先を促した。
 それに気付いて、陽子は再度口を開く。今度は浩瀚の顔を見つめて。
「浩瀚から、花をもらったことがないなあ、と思って。時々贈り物をしてくれるけど、花はないよね」
 浩瀚がまるきり陽子に贈り物をしない訳ではない。けれど、彼女が今までもらった物はと言えば……書籍に筆に墨に……というような、実用的なものばかりだ。女性に贈る物として一般的な、装飾品や衣服はおろか、花さえもらったことがない。
 答えを待つ彼女に、浩瀚が微苦笑する。
(貴女こそ花の中の花。そんな貴女に贈るなんて、花が可哀相だと思ったのですがね)
 本心は胸の中で告げると、浩瀚は別の答えを声にする。
「私はあまり花を知らないので、贈らなかっただけですよ。主上がお望みでしたら、今度は、祥瓊にでも尋ねて、似合う花を贈らせていただきます」
「別にねだったわけじゃないんだけど」
 焦る陽子に浩瀚が笑った。
「充分ねだってますよ、主上。違うと仰るなら、もう少し、仰り方を考えたほうがいいかもしれませんね。まあ、私はねだってくれたほうが嬉しいですが」
 さらりと言った浩瀚に、陽子の頬がかすかに朱に染まった。






<後書き>
2005年雛祭り企画『Girl's Festival』より。

雛祭り。女の子。春。花。ということで、テーマは花。
そして裏テーマは「書いたことない人に挑戦v」ということでした。
廉麟とか珠晶とか、書いてて楽しかったですv

2005.春

→モドル