バレンタイン 後日編 (十二国記)


 



「結局、渡しそびれたな」
 隠してあった小箱を取り出して、陽子は呟いた。
 小箱の中身は甘い砂糖菓子だ。堯天で美味しいと評判の店の菓子を、わざわざ祥瓊に頼んで買ってきてもらったものだった。
 バレンタインデイのプレゼントにするために。
 だが、その小箱は、相手に渡ることなく、まだ陽子の手の中にある。
「せっかく買ったんだけど」
 昨日は忙しくて渡す暇がなかったのだ。浩瀚に会う機会がまるでなかったわけではないが、他に人がいるところで渡すことはためらわれる。バレンタインの習慣のない世界で衆人環視の中渡したからと言って、その意味することなど誰にばれる訳でもないが、だからといって『王』が『冢宰』を特別扱いしている、と思われるのも問題だった。
 そんなわけでこっそりと渡そうと思って、渡しそびれて、今に至ったのだ。
 はーっと陽子はため息をついた。
「遅れて渡すバレンタインチョコって、なんだか間抜けだよなあ」
 正確にはチョコではないが、そこはあまり突っ込まないで欲しい。
 それはともかく、一日遅れたバレンタインのプレゼントは、やはりちょっと間の抜けた感がある。贈る側にしたって、どうも気持ちが緩んでしまい、あえてその日にこだわる理由がわからなくなってくる。
「食べちゃおうかな」
 ついそう口にしてしまったのだが、一度そう思ってしまうと、どうにもその誘惑が止められなくなってき た。
 堯天で評判のお菓子屋なのだ。美味しいことは間違いない。そう思うと、食べたくてたまらなくなるのが女の子と言うものだろう。
 しばしの逡巡の後、意を決すると、陽子は小箱を机の上に置いて、止めてあるリボンを解いた。
 蓋を開けて、中身を見て、陽子は感嘆のあまり声を上げる。
「うっわー、綺麗ー」
 パステル色に色づけされた小さな砂糖菓子が、中に5個ほど。外観も上々、素材の雰囲気からして味も上々。
 陽子は期待に満ちた顔で、小さな砂糖菓子を1個手にとって、口に運んだ。
 口に入れると、ほろっと溶けて、じわじわと甘さが広がっていく。その上品な甘さに、自然笑顔になってしまう。
 そこに。
 浩瀚が扉を開けて入って来た。
「主上?」
「こ、浩瀚っ?!」
 昨日からずっと求めた人物の、このタイミングでの登場に、陽子は軽く天を仰ぐ。
(よりにもよって、今になってやって来るか……)
 ほんの少し早ければ綺麗な状態のプレゼントが渡せて、ほんの少し遅ければ何もなかったものとして片付けられたのに、と。
 しかし、この状況で来てしまったものは仕方ない。
 陽子は苦笑をにじませると、目の前にやってきた浩瀚を、さらに手招きして近寄らせた。
「どうなさいま」
 最後まで浩瀚が言わないうちに、その口に砂糖菓子を1個放り込む。
 突然の出来事に、目を二度ほど瞬きながら、それでもその甘い菓子を味わった彼は、その全てが口中で消えた後、目の前の彼女を改めて見つめた。
「これは?」
「浩瀚へのプレゼント…贈り物だったんだ。結局渡しそびれて、自分で開けてしまったんだけど」
「私への、ですか?」
「うん。昨日はあちらの世界では『バレンタインデイ』という日でね、女性が男性に贈り物を送って愛を告白する日だったんだ」
「で、私へ下さるつもりだった、と」
「そう。まあ、昨日渡しそびれてしまったから、もういいかと思って1個自分で食べてしまったところだったんだけどね」
 ちょっとばつが悪そうに笑って告げる陽子に、浩瀚は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。主上がそう思ってくださった、ということが、何よりも嬉しいですよ」
「そう言ってくれるなら、よかった。あ、1個食べちゃってなんだけど、残り3個、あげるから食べてくれ」
 ぱっと陽子は小箱を差し出す。だが、浩瀚は笑顔でそれを押し返すと、変わらぬ声のトーンでさらりと言った。
「残り3個、主上が食べさせてください。先ほどのように」
「え?」
 穏やかな微笑と穏やかな声で告げられた内容を、咄嗟に理解出来ず反応が遅れた陽子は、その意味を理解して、次第に頬を赤く染めた。
 ふとした拍子にふと見せる、大人な浩瀚のこんな甘えた行動は、反則だと陽子は心底思う。心の準備が出来ていないだけに、効果のほどは絶大だ。
「浩瀚って、なんだかずるいよな」
 メロメロになって、それでも弱々しく文句を言う陽子に、
「主上が可愛いことをおっしゃってくださるからですよ」
 浩瀚はさらりと応えて、そして彼女に砂糖菓子の催促をしたのだった。








 

2008.2.15



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