LOVE POWER 1 −十二国記−


 



1.
 陽子は唇を噛む。
「堤を築くことも大事でしょう。しかしそれは今すべきことなのですか?それによって土地を失う民のことを考えておられるのか?」
 目の前の麒麟は表情一つ変えずに、ただ言葉だけは厳しく陽子を責める。
「やっと落ち着きを取り戻しつつある国に戻ってきた民を、また動揺させるような計画に、私は賛成できません」
「……」
 何と答えればいいのか、と陽子は思う。景麒の言い分も、こちらの言い分も、それぞれわかるからこそ、こちらの主張を一方的に言い立てることが出来ない。
 黙りこくってしまった主に、ただ無言で眼差しを向ける、その下僕(しもべ)。
 一歩下がったところで、事の成り行きを見守る、冢宰。
 ただただ重苦しい雰囲気が漂う、その堂室の、その沈黙を破ったのは、控えめに堂室に入ってきた下官だった。
「お邪魔して申し訳ありません。あの、台輔、州庁で少し厄介なことが……」
「わかった。それでは主上、私はこれで」
 礼をとって景麒が下がる。彼の姿が堂室から消えて、それから陽子へと視線をやった浩瀚は、ふと息を止めた。
 彼女は、唇を噛みしめ、両手を強く握り締め、耐え切れずに零れ落ちた、という風情で、静かに涙を落としていた。
「主上」
 声をかけて手を伸ばした浩瀚の、その手を振り払って、彼女は言葉を落とす。
「難しいな、とても」
 涙まじりの声が、聞いていて痛々しい。
「ああ言われてしまっては、どうすればいいのか、わからなくなってしまう」
「台輔は仁の生き物ですから、主上の意見と往々にして対立しましょう」
「わかってる。それをわかってなお、自らの意見を押し通すほど、私は自分に自信がない、それが問題なんだ」
 延王のようになれたなら、と何度思ったかわからないことを再び考えて、陽子は涙を拭った。
「私のことは気にしないで、お前も政務に戻ってくれ。それからさっきの案件は、進めてくれて構わない」
 拒絶するように背を向けた陽子に、浩瀚はただ静かに礼をとって、その場を辞した。



2.
「申し訳ないが、台輔と二人にして欲しい」
 そう命じて、二人きりになった瑛州候の執務室で、浩瀚は景麒と対峙した。
 訝しげな顔で浩瀚を見返す景麒に、彼は鋭い口調で言葉を発する。
「時間もありませんので単刀直入に申し上げますが、台輔には、もう少し主上を気遣っていただきたい」
「どういう意味です?」
 言われた内容が理解出来ないといった顔で問い返した景麒に、浩瀚は言い直す。
「台輔は、言葉が過ぎるのです。過ぎるのか足りないのかは微妙なところではありますが、いくら正論であっても、あまり主上を苦しめるような発言は控えていただきたい」
「……」
「先ほどの件もそうです。台輔の仰ることは、確かに正しい。だが台輔の言だけを取り入れては、政は成り立ちません。台輔の言い分を理解しつつも、すべてを考慮して、私達はあの決定を下した。それをああも頑なに反対されては、主上が苦しまれる」
「……私は、私の責務を果たしただけです」
 渋面になった景麒が応える。彼としては、自らが思ったことを口にしたに過ぎない。さっきの件に関しても、陽子が言い返せずに押し黙ってしまったことに関して、若干の胸の痛みを覚えるものの、それでも自らが間違っていたとは思わない。
 なぜなら、麒麟は民意の具現。
 感じたこと、思ったこと、それらを自分の内で押さえ込んではいけないのだ。それは民の意志を押さえ込むことを意味するのだから。
 景麒の頑なな様子に、浩瀚はため息をこぼす。
 あまりにも生真面目に過ぎるのだ。景麒も、そして陽子も。
「台輔の言い分は充分わかります。が、そこをまげてお願いしたい。徒(いたずら)に情を盾に主上を責めて、あの方を苦しめないでいただきたい」
「……私の意見を必要としない、と申されるか?」
「そういうわけではありませんが、聞き入れるわけにはいかない事柄がまだ慶には多いのは、台輔もご存知のはず」
 睨み合って、二人の間に険悪な雰囲気が漂った。
 やがて先に視線をそらせたのは、景麒だった。
「あなたにとやかく言われることではないでしょう。早く冢宰府に戻られるといい」
「……お邪魔いたしました」
 これ以上、状況が進展しないことを認めて、ひと言告げると、浩瀚はあっさりと背を向けた。



3.
「ちょっと、陽子!何があったの?!」
 下官たちが居なくなった隙を突いて、堂室に駆け込んできた祥瓊は、開口一番そう言って陽子の前の机に手を付いた。
「何が……って、何が?」
「私が聞いてるのよ。冢宰が台輔と喧嘩をしたって話じゃない」
「……あの二人が?」
 興奮した様子の祥瓊を前に、陽子は首をかしげた。浩瀚と景麒。あの二人と喧嘩という単語がどうにもピンと来ない。
 鈍い反応の陽子に、祥瓊がもう!と叫んで机を叩いた。
「陽子がらみの喧嘩って聞いたわよ!」
「私―――?!」
 つい叫んだ陽子は、急いで口を押さえると、祥瓊を見上げた。
「何だそれ?間違いじゃないのか?」
「嘘じゃないわよ。台輔付きの官吏が、そうやって教えてくれたんだもの。主上について話していたようだって」
「主上についてって……」
 眉根を寄せた陽子は、先ほどの三人のやり取りを思い出して息を飲んだ。
(もしかして、あれ……か?)
 三人でのあのようなやり取りは日常茶飯事だ。が、いつもと違ったことと言えば、うっかり浩瀚の前で泣いてしまったことで。
「……」
 顔色を変えて黙りこくってしまった陽子に、祥瓊が伺うように叫ぶ。
「ちょっと陽子!」
「……ごめん、ちょっと消える」
「えぇ?!」
 戸惑う彼女をその場に、陽子は窓から庭へと飛び出した。















 

2009.11.28


<あとがき>
なかなかしゃべり方が難しいなあと思う十二国記の方々。
→陽子と、→他の人たち の場合で、しゃべり方が違うはずなんだけど、イマイチよくわかってない気がする。
浩瀚と景麒の二人の間だけのやり取りとか!難しいなー…;

 

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