LOVE POWER 2 −十二国記−
4.
逃げ込んだのは、人気のない庭院のさらに奥だった。雑草が伸び放題になったその中に、手入れをされなくなって久しいのだろう古びた路亭(あずまや)を発見して、そこに腰を下ろす。
「……みんなに心配、かけるなあ」
突然姿をくらました自分を、みんな探しているだろう、と力なく呟いて、陽子は息を吐く。けれど、彼女には、ひとまず自分自身の気持ちを落ち着けるのと考える時間が必要だった。誰にも邪魔されずに。
「ああ、もう……」
陽子は頭を抱えて俯いた。涙がにじんでくる。
そして、自分自身に向き合うようにして、自らの行動と感情を振り返る。
陽子が担当官吏達と相談をした案件を、景麒に話し、それに対して彼が苦言を呈するのはいつものことだった。平気なわけではないが、慣れたと言ってもいい。
なのに今日に限って、堪えきれずに涙を落としたのは。
(きっと浩瀚が傍にいたからだ……)
浩瀚が傍にいて、気が緩んだとしか、思えなかった。
「……」
涙を堪えるように、陽子は唇を噛みしめて、両手で顔を覆う。
無意識に、浩瀚に依存している自分を知って、恐ろしくなった。
(頼りすぎてはいけない。そう、戒めているのに……)
自分は弱いから、気を緩めると楽な方へと逃げようとする。浩瀚がいると、彼を頼ってしまう。
(昔のような自分には戻りたくないのに)
思い出すのは、波風を立てないように人と接していた過去の自分。
変わった、と思っていても、人はそれほど簡単に変われるものではないらしい。
彼女は堪えるように顔を覆った両手に力をこめる。
だが草を踏み分けて近づく足音に気付いて、彼女は両手から顔を上げた。
やって来るのは、わかっている。
己の半身。どこに隠れたって、探そうと思えばすぐに見つけ出せる、陽子の運命を変えた……麒麟。
傍まで来ながら無言で立ち尽くす景麒に、陽子は仕方なしに視線を上げる。と、彼は言葉をかけあぐねている風情で佇んでいた。
「……座れば?」
「……はい」
それきり、また黙ってしまった景麒に、陽子は苦笑をこぼす。探し出すのが目的であったら、そのまま連れ戻されるところだが、そうしないところで彼自身何か言いたいことがあるのだろう。
「心配して、探しにきたのか?」
「……冢宰に、私は言葉が過ぎると言われました」
「……」
陽子は微妙な顔になる。景麒相手に『言葉が過ぎる』とは聞いてて妙だ。とはいえ、浩瀚の言いたいことはわかった。そして二人の喧嘩の内容とやり取りが想像出来た。浩瀚は陽子の涙を見て、景麒に掛け合ってくれたのだ。
(慶の冢宰殿にしては、優しいことだ)
嬉しいのか悲しいのか悩ましいのか。
「私は……」
「景麒は間違ってないから、心配しなくていい」
遮った陽子の言葉に、景麒が驚いた顔を向けたが、彼女は景麒の顔を見ずに真っ直ぐに前を向いていた。
「お前は、思ったこと、感じたことをそのまま言葉にして私に言ってくれていい。どんないい政策でも、それによって苦しむ人はいるんだから、そのことをお前は私に知らせなければならない。それが、何よりも大切なお前の役目なんだから」
「……けれど、主上がそれによって苦しまれるのは……」
「その苦しみを背負うのが王の役目だと私は思う。ただ私はまだ未熟だから、その重さが時々苦しくて……つい表に出てしまうんだ」
自嘲気味に笑って、陽子は目を閉じる。その姿に、景麒はやはり胸が痛む。
彼とて、決して主を苦しめたいわけではないのだ。ただ彼の性分として、そしてそれこそ陽子が言ったような責任感から、自らの意見を口にせずにはいられない。それだけだった。
「主上……」
「浩瀚が何を言ったにせよ、気にするな。お前は今までどおり私に意見してくれればいい。……ただ、それを聞いてもお前の意向に添えないことはある。それは許して欲しい」
「……はい」
主の気持ちが嬉しいと思う。冢宰の言葉は一理あるが、それでも自分は自分の役目として意見し続けねばならない、と改めて彼は思う。
と、そんな景麒に、陽子がおずおずといった様子で尋ねた。
「浩瀚を……傍に置いていてもいいのかな……」
「え?」
景麒は驚いて陽子を見る。彼女は視線を落として、気弱な雰囲気で言葉を続けた。
「今回の件は、普通だったら、お前に意見するような事柄でもないはずだ。それをあえてしたのは……私情が絡んだからだろう……。私のせいで、冷静な判断が出来なくなるようなら……」
政に私情が絡んでは、物事は上手く働かなくなる。それくらいは陽子だってわかっている。冢宰としての浩瀚を頼りにしているし、慶の復興のためには彼の力が必要だ。
だから。
「離れたほうがいいのかもしれない」
陽子のせいで、彼の本来あるべき『冢宰としての判断力』を曇らせることになるのなら。
彼の力を失うのは、慶にとって大きな損失だ。陽子が彼に依存しすぎて駄目になる以上に。
口にすれば、それが一番正しい気がして、陽子は苦しげに顔をゆがめる。
だが。
「私はそうは思いません」
思いがけない言葉が返って、陽子は驚いて景麒を見上げた。
「今回の冢宰の意見も、一方で正しいのです。私は……人の心情を察するのが得意ではありません。あの方は、私では補えないことを補ってくださる。傍に置かれるのは、主上にとっても、慶にとっても良いことかと、思います」
「景麒……」
思ってもなかった景麒からの言葉に、陽子は言葉を失う。
女王と冢宰の恋。景麒が内心快く思ってないと思っていたから、彼女は心底驚いた。
2009.12.2
<あとがき>
景麒さまは、いろいろと言いつつも、結局変わる気皆無(笑)三つ子の魂百までか?!(笑)